田中 武久

田中武久
もうすぐ一年が終わろうとしている暮れも押し迫った日、夜中の2時を過ぎているのにもかかわらず、心斎橋筋の商店街は結構、人がいっぱい歩いていた。
外は真冬の寒さなのに、なぜか寒くなかった。
つい先程まで、ホットな演奏を聴いて気分が高揚していたのだろう。

今から約四半世紀前のこと。
当時大学2年だった私と先輩のH野さん、石川県出身のN目さんの3人でほろ酔い気分で梅田方面へ心斎橋筋を歩いていた。
さっきまで3人のバイト先の店長で、クラブの大先輩にあたるY川さんに「ST,JAMES」に連れていってもらったのだ。
そのJAZZクラブのピアニストは気さくな人だった。
アフロヘアーで小柄だけれど、細身の体型で精悍な感じのする、ピアニストというよりスポーツマン、役者みたいな印象をうけた。

ピアニストの名前は田中武久。
初リーダーアルバムをだして間もない頃で、出来のよさは行きつけのJAZZ喫茶「JOKE」で確認済みであった。
当時のレギュラートリオにはドラムスの椅子に飛ぶ鳥落す勢いの東原力哉が在籍しており、トリオが奏でる音楽はパワーに満ち溢れ、一体感があり、今聴いても素晴らしい演奏だったと思う。

休憩時間には、テーブルに座ってくれて、初対面で硬くなっている我々にジョークを飛ばしリラックスさせてくる。
「僕は本当は野球の選手になりたかったんや! 大学の時は、昼は野球の練習、夜はコレ!(ピアノを弾くしぐさ)」
大学の大先輩になる田中さんは、面白い話を一杯してくれた。

そんな温厚で気さくな田中さんが、顔色変えて怒ったことがあるという。
酒に酔った常連が、リクエストで、なんの曲か忘れてしまったが「田中はん!モンク風に弾いてくれ」と言った時のこと。
「モンク風にとは、どういうこっちゃ!ワシは田中やぁ!」
演奏そっちのけで、激怒したという。
自分の演奏に責任とプライドをもつプロのジャズピアニスト田中武久のアーティストとしての誇りが窺い知れるエピソードだと思う。

このアルバムはそんな田中の永年の夢が叶った一作。
エルビン・ジョーンズ(DS)CECIL McBEE(B)SONNY FORTUNE(TS,FL)
我々が観たライブの約10年後の1990年12月、NYで録音された。
ピアノトリオでBEAUTIFUL LOVE,YOU DON‘T WHAT LOVE IS,SOULTRNE,
STELLA BY STAR LIGHT ソニー・フォーチュンがI WAS TOO YOUNG,
MY DREAM COME TRUE TO E.J. WHEN I WAS AT ASO-MOUNTAINの3曲に参加。
ピアノトリオの素晴らしさは言うまでもないが、ソニー・フォーチュンのワイルドなテナーがなかなかアルバムのチェンジ・オブ・ペース的な役割になっていてとても良い。この人アルトよりテナーのほうが、絶対むいていると思う。
アルトは確かに饒舌だが、結局なにが言いたかったの?というのに対し、テナープレイはワイルドで無骨だが、説得力がありこちらのハートにダイレクトに響いてくるからだ。
86年だったか、エルビン・ジョーンズのクインテットで広島のチチヤス・オール・ナイト・ジャズ・フェスティバルでもテナープレイが印象に残っている。
印象といえばバックステージで虚無僧のように出番直前まで一生懸命フルートの練習をしていたのを目撃した。きっと真面目な人なのだろう。

エルビンをその時ステージ真横からずっと観ていたのだが、飛び散る汗のすごさ(ライトで汗が反射してキラキラ光っていた。)に驚いた。
最後に、
このアルバムは捨て曲なしの全曲聞き物、田中武久にとっては勿論、エルビン・ジョーンズにとっても快心の一作だったと思われる。

去年久々のニューアルバム「新月」をリリース。東原力哉(DS)
ますますの活躍を期待したい。
今度、大阪に帰ったとき行ってみたいな、ST.JAMESへ。


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